私は成果主義な訳だけど

個人のブログだから適当なことを言いますしお酒が入っている訳だけど。あと、高卒の偏差値底辺のブログなので信憑性は皆無なのです。はい。

成功が成果と言われることが多いよね

Aという事柄からBの事象を証明するための条件を検証する。みたいなことがある。いわゆる研究系に関わる仕事・作業に多い。

アプローチとしてA’、A''、A’’’’の3パターンを検証した結果、Bの事象が発生せず検証した3パターンでの条件ではBの事象を実現することができなかった場合はどうなるだろうか?

「失敗は成功の母」は上の人間には認知されていない

上記の3パターンで検証した結果、望む答えが出なかったため、研究・検証者の評価が下がるのが現代の日本の考え方だと常々感じている。

繰り返す。私は成果主義だ。

現代のインターネット至上主義の世の中ではたくさんの情報がある。その中でできるやり方の情報は比較的多い。逆にできないと宣言する情報はほぼ皆無に近い。正確には情報を発信した時点で個人または団体が実証実験をした結果が不可能だと断定した状態だ。

このできない条件や情報は軽視する傾向にあると言える。なぜできないのかを証明するにはさらなる時間や労力が必要な場合が多い。だが現状でのできないと言う情報は本来貴重な情報であり軽視するべきことではないはずなのに上の人間は検証者に対して負の評価を与える。

私は成果主義であり、このできない事象は成果であり、評価する価値はあると考える。

悪魔の証明

私のブログ内で何度か出てきたことかと思う。正確な「悪魔の証明」を知りたい場合はグーグル先生に聞くと良い。

私が認知している「悪魔の証明」を簡単に説明すると、肯定もしくは否定の証明が非現実的な状況と表すのが簡単なことだろうか。

絶滅したか、してないか

例えばmosaと言う生物が存在したとする。mosaが絶滅したかどうかを証明するためにはどうすればよいのだろうか。

絶滅していない証明

これは単純で生きているmosaを捕まえてしまえば良い。これで絶滅していない証明はできる。

絶滅している証明

絶命していない証明はどのようにするべきだろうか?。世界各地の山地や海底などすべてを調べ尽くした結果として、mosaが絶滅したと認定できるだろう。しかし、それが現実出来だろうか?

このように、ある証明の逆説を説明することが非常に困難な状況を悪魔の証明だと言う。(著者的にね。)

証明は非証明ありきの認知

「絶滅している」「絶滅していない」の2択で悪魔の証明を説明したが、このような状況は社会にはよくあることで「死ぬ気でやれば何でもできる」と考える経営者と「過労死した親族」に訴えられるなんてニュースは珍しくない。

話はずれたが、「ある研究結果は成果なし」なんて事はありえない。成果なしと断定した資料や結果が存在するからだ。資本主義を軸に考えれば利益の産まない技術は不要であるが、利用できる技術を生み出すのには非証明の積み重ねが必要であり、できない事象・条件は有力で貴重な資産であることを認知してもらいたい。

っと、思う今日このごろ。

研究を舐めんなよ!!!!

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